今年の1月より「Visual Astrology(恒星パラン)研究会」がはじまりました。
Visual Astrologyとは、まさに「見えたまま」を重視する古代バビロニアの頃の手法をもとに
ベルナデッド・ブレイディさんが提唱している占星術です。
地平線と子午線、そこに昇ってきた恒星、沈んでいく恒星。
太陽が昇る直前、どんな恒星が東の地平線を昇っていたのか。
地球と宇宙との接点に、どんな恒星が関わっていたのか。
この研究会ではベルナデッド・ブレイディさんの文献や資料をもとに、
恒星について、恒星パランやVisual Astrologyについての理解を深めていきます。
前回の研究会にご参加くださったMさんからご感想をいただきました。
ご本人に許可をいただきましたので、ご紹介させていただきます。
生まれた日の空にはどんな星が輝いていたのだろう?
一年を通して見える星は
①ずっと見える星
②見えていない期間がある
③見える期間がある
④ずっと見えない星
星空には、このような種類があるそうです。
冥界の王ハデスにさらわれた乙女ペルセポネ。冥界のザクロを4粒食べてしまったから、4か月冥界に行かなくてはならない。で、お母さんの豊穣の女神デメテルが娘がいない期間、泣き暮らす。そのために、地上では植物が育たない(冬)
神話と星のならびを関連させたのが星座の原点。地平線のあたりを真っ赤な星がうろうろしていたら不気味だろうしな(アンタレス)変光星のアルゴルあたりも興味あるなあ(メデューサの首だよ‼)
生まれた時間をとることも、生まれた日の星空をとることもできるもよう。
そのとき近くに惑星があったのなら、惑星と恒星が一緒にみえたかも。そうしたら、見た人の心にはその惑星と恒星の輝く星空が残るかも。
現代では星の明るさなんてたいしたことはないと思うけれども、古代の人々は「明るい光だなぁ」って思ったに違いない。コンビニなんてないわけだし、月と星のあかりはもっと身近だったのではないかな?
「あの星が出ているから種を蒔こう。」とか「そろそろ収穫をしよう。」とか思っていたわけですね。で、火星なんてみえた日にゃ、「なんて不吉な予兆だ」と思ったでしょうし。月蝕の月は赤く見えることがあって(夕焼けの原理と同じだそうな)それもまた「なんて不吉な」と思っただろうし。
自分自身を観測者に見立てて、考えてみることはとてもわくわくする体験で。話を聞きながら、わたしは天文部の少年になったような気分になったわけです。手に星座版持って(見たい方向を下にして、天体に掲げて使う)その時期のその場所に潜り込むような体験。寒い時期は天体観測大変だけれども、空気が澄んでいて明るい星がたくさん見えただろうし。
ギリシャ神話好きすぎる。幼いころの憧れをひっぱりだして、いい大人になってそんな話ができる今のわたしは恵まれているな。そんな思ってもみない幸せがあるから、人生って捨てたものではない…かもね。
二次元の情報を、一度体内に取り込んで口に出してみるという、なんという創造的な体験なんだろう。感覚や体験が自分のなかに生きていて、それが立体的に豊かな世界を作り上げる。もちろん自分のなかでの納得も楽しいのだけれども、話をもっともっと聞いてみたいな。
Mさん、いつもありがとうございます。
ご感想もいただき、ありがとうございました。
VAを知ると、見上げる夜空で星座を探す楽しみもまた倍増するというもの。
人生捨てたものではない…まさしく^^
ギリシア神話や天文学をはじめ、多様な視点を盛り込みながら…
今後の展開が楽しみですね!
次回のVA恒星パラン研究会は3//16(土)14時より、大倉山占星術研究会にて開催です。
あと2名様ご参加いただけます。
ご興味のある方は、HP問い合わせフォームやツイッターDMよりお気軽にご連絡ください。
大倉山占星術研究会
@astroookurayama
Comentarios